問責

菅直人第二次改造内閣が発足しました。選挙をお手伝いした細川律夫さんが厚生労働大臣留任、また社民連時代からいろいろとお世話になっている江田五月さんが法務大臣として入閣ということで、個人的には、少しホッとしているところです。ところで、今回の内閣改造の目玉である与謝野馨氏の入閣について、自民党の山本一太参院政審会長が、「最初から問責決議案を出したい」閣僚だ」などという発言をしました。これこそ、政局をもてあそんでいる現在の自民党の本質が現れた暴言ではないでしょうか。確かに、与謝野氏のたちあがれ日本離党と入閣は、国民にとってもわかりにくい出来事であり、菅直人首相の政治姿勢が大いに疑われるところではあります。しかし、参議院の問責決議案というのは、閣僚として大きな問題を起こした時に出されるべきものであり、不祥事を起こしたわけでもない閣僚を、気に入らないからと言って、就任直後に問責決議案の提出に言及するなどというのは、国民生活を第一に考えない自民党の旧態依然とした行動です。民主党政権が、いろいろな面で国民の期待を裏切っていることは間違いありません、しかし、自民党は、それこそもっとひどい政治を過去50年にもわたって続けて来て、国民から落第点をつけられたばかりです。少なくとも10年ぐらいは、おとなしく謹慎して、自己改革を進めてから、出直して来るべきだと思います。


年賀状

明けましておめでとうございます。この年末年始は、大晦日まで千葉県内で仕事があったため、三鷹で過ごしております。今年は、統一自治体選挙の年、オフィス資としても正念場ですので、気を引き締めて頑張っていきたいと考えております。ところで、表題の年賀状について、例年300枚程度出しているのですが、公職選挙法の規定により、滋賀県日野町内の皆さんに対しては、「答礼のための自筆によるもの」を除き、年賀状を出すことが禁止されております。ご理解・ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。


差別意識

議会開設120周年記念式典で、民主党の中井洽氏が、秋篠宮に対して「早く座れよ。」と言ったことが、皇室に対して非礼だ、ということで、懲罰動議が提出されたということです。簡単に言えば、「皇族に対して野次をとばしたのが怪しからん」というわけですが、とんでもない話です。現在の国会は、衆議院も参議院も、まるで学級崩壊のように、常に野次が飛び交っています。つまり、国民の代表である議員に対して、反対党の議員が野次を飛ばしているわけですが、それをとりあげて懲罰動議を提出したなんて話は聞いたことがありません。それにもかかわらず、野次の相手が秋篠宮だったら、なぜ懲罰動議が出せるのでしょうか。これは、皇族と一般国民とを差別しているからにほかなりません。あきらかに日本国憲法第14条違反です。皇族を一般国民よりも上に見る意識は、障がい者や被差別部落民を下に見る差別意識と同質のものであると言われています。つまり、皇室をあがめるということは、即ち「身分の違い」の存在を認めることであることから、「社会的身分又は門地」による差別を認めることと本質的に同じ、というわけです。中井洽氏の行為は、確かに褒められたことではありませんが、常に野次が飛び交っている国会の中において、今回の行為だけが、懲罰動議の対象となるということは、日本国憲法の精神上、断じて許されるべきことではありません。


究極のムダ遣い

昨日、母が同級生宅をご主人の弔問のため訪ねました。その時、座敷に「内閣総理大臣菅直人」からの賞状があったので、驚いて話を聞いたところ、ご母堂の100歳を祝う「祝状」だと教えられたそうです。市町村が高齢者に記念品を贈ったりしていることは知っていましたが、まさか内閣総理大臣が100歳の高齢者に祝状を贈っているとは思ってもいなかったので、私も大変驚き、調べてみると、厚生労働省管轄の事業で、毎年度100歳になる高齢者に対して、内閣総理大臣名の祝状と銀杯が贈呈されているとのことです。今年は対象者が21,603人に達していて、祝状と銀杯のために、なんと2億5千万円前後の税金が投入されているということがわかりました。はっきり言って、無意味且つムダとしか言いようがありません。こういうムダ遣いの積み重ねが、国の財政を悪化させているのです。事業仕分けで目立つムダ遣いはやり玉に上がりましたが、それよりもなによりも、こういった、全く意味のない事業は即刻廃止すべきではないでしょうか。


結局は倫理

私が「倫理」などということは珍しいことです。もちろん「個人」の倫理をとやかく言うわけではありません。「個人」の倫理は、大切なことですが、個人が考えるべきことであり、他人がとやかくいうことではないからです。私が問題にしたいのは、「企業倫理」です。いま、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加問題が政治課題になっています。国内の農業振興や、食料自給率の観点で、反対する声が大きいようです。農業自由化は、長年にわたり、日本が海外から求められ続けている課題です。海外諸国の多くは、農業自由化を否定していませんし、自由化しても、一定の食料自給率を確保しています。では、なぜ日本だけが、農業自由化に踏み切れないのでしょうか?農家に責任があるのでしょうか?そんなことはありませんね。農家は、大変厳しい状況の中で限界の努力を続けています。では、誰が悪いのか。突き詰めて考えていくと、結局は、食を扱う産業だということになるのではないかと思います。自分の会社だけ儲かればよい、とばかりに、安全も安心もなげうって、海外の安い食材を買いあさって、価格破壊で目先の利益を追い求める企業がいかに多いことか。牛丼戦争で、品質維持を捨てて、吉野家潰しに走っている某牛めし屋などは、TPP参加で牛肉の関税が撤廃されれば、牛丼戦争に勝てるとばかりの発言をしています。つまり、自社がもうかれば、国内の畜産業や、同業他社がすべて潰れてもよい、という考えなのです。しかし、よく考えてみれば、その恩恵を被るのはたかだか千人ちょっと。つまりは、日本の内需を押し下げるだけの効果しかないわけで、結局は、国内の景気を悪くするだけです。近江商人の経営理念には「三方良し」という言葉があります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」、つまり、取引の当事者だけでなく、周辺社会にもプラスになるような商売でなければ、結局のところ成功しない、という教訓です。これが、究極の「企業倫理」ではないかと思います。某牛めし屋のように、自分の会社さえもうかれば、日本社会がどうなってもよい、というような経営をする企業が、結局は、日本全体を窮地に追い込んでいるのではないでしょうか。


クリーン?

ここ数ヶ月、いろいろな局面で、民主党とカネとの関係が問題にされています。確かに、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏の政治資金問題は、よくないことだと思います。しかし、どうしても違和感があるのは、自民党が民主党をカネの問題で批判すること。先日の衆議院北海道5区の補選で、自民党候補が「クリーン」を訴えて当選したことなどは、この補選が、北海道教職員組合の不正献金に端を発したものであったということを割り引いても、首肯することはできません。そもそも、自民党は、どれだけカネの問題を起こし続けてきたのでしょか。それも、形式的な違反ではなく、カネによって政治・行政をねじ曲げる「贈収賄事件」を。ロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件など、日本の主な汚職事件は、すべて自民党が起こしてきたわけです。鈴木宗男事件にしても、自民党は民主党を攻撃していますが、そもそも事件発生は鈴木宗男受刑者が自民党に所属していた時代のことです。小沢一郎氏にしても、もともと自民党の中枢にいた人であり、その頃からの利権構造を引きずっているところから、西松事件を引き起こしたと考えられます。これらはいずれも、カネによって、政治や行政を歪め、国民の血税を不正に使った重罪犯罪です。一方で、北海道5区の小林千代美陣営の事件などは、カネがないから、もらってはいけないことになっている団体から、資金援助を受けてしまったというもの。同じ違法行為であっても、その悪質性には大きな差があります。極端な話、「汚職」は自民党の専売特許であったわけで、より悪質な犯罪を重ねてきた者が、背に腹を変えられずに起こしてしまった不正を大声で非難しているということになるわけです。小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏の「カネ」の問題は、もちろん是認できることではありませんが、自民党には、それを批判する資格など、全くないのではないでしょうか。


はっきり言って見苦しい

民主党の小沢一郎氏が、政治倫理審査会への出席を巡って、岡田幹事長との会談から逃げているそうです。小沢一郎氏は、わずか数ヶ月前には、「(強制起訴された場合は)堂々と受けて立ち、潔白を主張する」と、それこそ堂々と主張していました。ところが、民主党代表選挙では、当選して首相になれれば起訴を免れると考えたのか、いきなり立候補し、落選後、検察審査会から「強制起訴」の議決を受けると、議決は違法な行政処分だと誰にも通用しない屁理屈をこねて、仮処分申立てや起訴差止めの訴訟提起など、「悪あがき」「時間稼ぎ」「引き延ばし」としか言えない、卑怯な行為を繰り返しています。その上、あろうことか、小沢チルドレンのガキどもは、「お家の大事」とばかり、検察審査会制度そのものを否定するような主張して繰り広げる始末。はっきり言って、見苦しいとしか言えません。そもそも、小沢一郎氏・陸山会と西松建設との不適切と思われる関係が問題とされているわけで、その部分についての明解な説明がないことが、国民の民主党不信、延いては政治不信を招いているのです。よくよく考えて見れば、菅直人総理が、国会議員になってから30年間経つのにいまだ本人は武蔵野市内の貸家住まいであることと、小沢一郎氏が、国会議員になって18年後の昭和62年に、実家とは遠く離れた世田谷区深沢の490坪の土地に総工費13億円もの豪邸を建てたこととを比べてみれば、いったいその金はどこから出たのだろうと庶民が思うのは当然のことです。今回の政治資金疑惑について、正々堂々と潔白の証明をすることなく、こそこそと逃げ回っている姿を見ると、やはり、何かやましいことがあるのではないかと、勘ぐってしまいたくなります。


「エコ」制度

新聞報道によると、日本総研の調査の結果、エコカー補助金やエコポイント制度の利用者は、高額所得世帯が圧倒的に多く、中低額所得世帯の利用率は非常に低かったそうです。私は、この報道を見て、当たり前のことだと思いました。そもそも不景気で食べていくこと、住む場所を確保することさえ困難な時代に、もともとの値段の高いエコカーの新車を買ったり、新しいエアコンや冷蔵庫に買い替えたりする余裕のある世帯がどれだけあるというのでしょうか?サラリーマンの平均年収が100万円も下がり、年収300万円程度で生活している世帯が激増している中で、いくらエコカー補助金やエコカー減税で安くなると言っても、200万も300万もする新車を、いったい誰が買えるのでしょうか。そんな高額な買い物をできる人は、マスコミなど一部の恵まれた企業の社員や、もともとそれなりの元手があって、株式投資などで稼いでいる投資家にすぎません。多くの人は、月末の家賃の支払いにビクビクしながら、胃が痛くなる生活をしているのです。自動車を買い替えたくても、そんな余裕はないのに、逆に古い自動車に乗っているのはエコでないと言われて、逆に割高な自動車税を払わされています。誰も、古い自動車に乗り続けたくて乗っているわけではなく、貧乏で買い替えられないだけなのに、どうしてこんな追い打ちをかけられるのでしょうか。この辺は、まさに、金持ち優遇の旧自民党政権が導入した悪政です。さて、民主党政権は、こういった矛盾を解決すねことができるでしょうか?甚だ心許ないですが、期待するしかありません。


言葉がおかしい

民主党が昨年の衆議院議員総選挙に当たってマニフェストに盛り込んだ「子ども手当」に関して、現金支給ではなく、「現物給付」とすべき、という議論が、マスコミを中心に、もう随分前から出ています。要するに、子育て世帯に現金を支給するのは、「バラマキ」だから怪しからん、子育て支援というなら、保育所の定員増などをすべきだ、という話なのですが、この保育所の定員増などの政策を「現物給付」と呼んでいるのです。私は、どうしても、この表現を認める気分にはなれません。「現物給付」とは、支援の対象となる個人に対して、現金ではなく、必要なモノを直接給付することを指します。例えば、子どもの養育に必要な食糧や衣料を直接給付するなら、それは「現物給付」と言えるでしょう。しかし、保育所の定員は、「現物」ではありません。あくまでも「保育を受けられる可能性が高まる」だけのものだからです。よく考えてみましょう。「子ども手当」は、子育て世帯すべてが対象です。それに対して、保育所定員の増加は、保育を希望する世帯だけが対象となります。しかも、都市部などにおいて、定員増が図られたとしても、待機児を解消するに充分な予算措置ができなければ、保育を希望している世帯ですら、その恩恵を被れないケースが出てきます。そもそも「子ども手当」は、子どもの側に立って、親の経済状況に関係なく、平等に支援しようという政策です。一方、保育所定員の増加は、どこまで行っても、一部の親を支援する政策でしかありません。政策の依って立つ土台が全く異なるのです。もっと具体的な話をしましょう。例えば、夜勤が中心の看護師さんや介護士さんが子どもを預けようとしたらどうなりますか?「現物給付」の対象となる認可保育所は、当然のことながら深夜の保育はしていません。こういった、社会にとって必要不可欠な職業に就いている母親は、やむなく無認可の保育室に子どもを預けざるを得ないわけであり、いくら日中オープンしている認可保育所の定員が増加しても、全く意味がありません。現在議論されている「現物給付」では、こういった母親や子どもは、すべて切り捨てられてしまうのです。この話ひとつ見てもわかるように、「現物給付」を主張している政治家やマスコミは、市民生活の実情が全く見えていないのです。「現物給付」と言う、日本語としても間違った言葉に騙されてはいけません。


強制起訴

東京第5検察審査会が、小沢一郎氏の政治資金収支報告書虚偽記載事件について、「起訴」議決を下したことを公表しました。これにより、小沢一郎氏は、東京地方裁判所が指定する弁護士によって、起訴されることが確定しました。小沢氏やその周辺は、検察審査会批判ともとれる主張をし、徹底抗戦する意向を明らかにしていますが、そもそも検察審査会制度が、検察官の判断が「国民感情」からかけ離れたものになることによって、司法が国民の信頼を失うことを防ぐために存在する制度であって、それこそ「民意」のかたまりであることを忘れているのではないでしょうか。民主主義国家である以上、司法機関も、立法機関も、行政機関も、「民意」から離れて存在することはできません。しかも、憲法の規定で、三権は分立しています。いくら自分の気に入らないからと言って、政治家が、司法機関や、司法への国民参加システムである検察審査会のあり方を云々するのは、憲法の理念に反する、絶対にしてはならないことです。小沢一郎氏は、「刑事被告人」として、潔く裁きを受けるべきですし、民主党は、「推定無罪の原則」に配慮しつつ、民意を重んじて、必要な処分をすべきです。民間会社では、刑事被告人になれば、ほぼ間違いなく懲戒解雇処分されるのです。


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